
新規就農を夢見て占冠村の土地へ

北海道占冠村狩振岳の裾野に広がるカリフリ農場。
その働き手は一家の長である江頭謙一郎さん、奥様の恵美さんと二人の子どもの四人。季節に応じた少量多品目の野菜を無農薬無化学肥料で栽培し、自宅を囲む小屋のいくつかで鶏や山羊、豚、さらに羊やウサギを飼っています。
謙一郎さんが新規就農を夢見て埼玉から北海道へと渡ったのは今から二十数年前のこと。資金ほぼゼロ、ツテも知り合いもわずかという厳しい条件下での土地探しは難を極めましたが、数カ月すると価格も格安で農地がある!と情報が。期待を胸に足を運んだ謙一郎さんでしたが、雑木林の向こうに広がった空間は農地とは名ばかりの荒地で悪条件の揃った土地だったと言います。
「つまり最高に農業に適していない土地。地域の人も村役場の人もあそこじゃ無理って口を揃えました。だからこそ燃えたね(笑)」
そこから一人で畑を整え、一人で古材を集め掘っ立て小屋を建て、水道は引きましたが電気も電話線もない生活。当面の生活費を稼ぐために農作業の合間を縫って郵便配達や牧場のバイトにも精を出したのだとか。秋には初めての収穫。自分の食べる分は蓄え、残りは占冠村トマムの市街地で売ったそう。そのときは「金額よりも生産者となった手応えが嬉しかった」と謙一郎さんは当時を振り返ります。翌年、南富良野町の祭りで小さな出会いが。カヌーやキャンプが好きで農にも関心のある女性。二人は意気投合し、意を決した謙一郎さんの渾身の決め台詞「人は壁と屋根があれば生きていける」だったと恵美さんが振り返ります。ほどなく二人は結婚したのでした。
「つくる」「たべる」「いきる」が身の丈で回る日常

カリフリ農場の牧草畑にて。
1996年。働き手が二人になり一気に活気づいた農場でしたが、それでもトマムの自然や風土は相変わらず手強かったと言います。
ですが収穫した作物はそれまで食べたどれよりもおいしいと感じたそう。食べるために種を蒔き、生きるために収穫する。「つくる」「たべる」「いきる」が身の丈で回っていく日常、気づけばそれが自給自足でした。
「でもね、そこに主義主張があったわけじゃないんです。一生懸命働いて、お腹いっぱい食べて、泥のように眠る。この何にもしばられない自由さ、広い大地に自分たち二人だけがいるという開放感が心底楽しいと思ったんです」恵美さんが言い、謙一郎さんが継ぎます。
「だけどお米も調味料も服もいるし、やっぱり何かと代金がかかる。やっぱりお金も稼がなきゃ(笑)。このあたりのゆるさが自給自足未満。つまり半自給自足なんです」
翌年には息子が生まれその二年後には娘も授かりました。その頃には念願の電気や電話線も通いました。「新鮮でおいしく安全で安い」カリフリ農場の野菜は口コミで広まりお客様からのオーダーも舞い込むように。しかし客先が増えても二人はむやみに事業を拡大しなかったといいます。「身の丈での生産」から「自分たちの食いぶち」を引き、残った分だけを「売る」。この不文律をおよそ二十数年を経た今も続けています。依存するのは大自然だけ、という生き方の自由さと楽しさ。「最低限のお金は得るけれど、稼ぐことに執着はしない。それが半自給自足を続けるための決めごとなんです」
他に依存しなければ自ずと家族の結束が強くなる。収入にこだわらなければ見栄も生まれない、その分生きるのも楽になる。これが江頭家の奔放さの理由なのでした。


