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HOME ローカルワークストーリー 浅野 和さん(西興部ゲストハウス GA.KOPPER)

ローカルワークストーリー

世界中を旅したライダーが落ち着いたのは、小さな村で村おこしをする暮らし

一人でどこまでも旅に出る、バイク漬けの青春時代

浅野 和さんは札幌市中央区出身。2011年に西興部村へ妻の浅野千世さんとご夫婦で移住しました。木造廃校校舎でゲストハウス「GA.KOPPER」を営み、地域と深く関わりながら家族3人で生活しています。

ここ西興部村に来るまでは「バイク」と「旅」漬けの毎日を送っていました。
16歳でバイクの免許を取得して、仲間たちと集まり札幌の町を走っていた頃に、ふと「この道をずっといったらどこにいくんだろう?」と考えるようになりました。それから浅野さんは、朝に仲間と別れた後、一人でこっそり遠くの町までバイクで出かけていくようになります。「一人でいる時間と距離が、どんどん長くなっていきました」

その言葉の通り、浅野さんの旅はどんどんスケールアップしていきます。高校生のうちに北海道を2周。卒業後は日本中をまわり47都道府県すべてを走りました。4年間陸上自衛隊の職に就いた後、26歳で初めての海外ツーリングへ旅立ちます。カナダのバンクーバーから始まるアメリカ大陸の縦断、横断。船便で送ったバイクに乗り、中米、南米、北米を1年半くらいかけて回ったそう。ツーリング中に出会った妻の千世さんとは、ウラジオストクからシベリア鉄道沿いを走り、ヨーロッパへと抜ける旅に出かけたこともあります。「必要なものだけバイクに詰めて、ドンと行く。これほどシンプルで身軽なことはなくて、ずっと続けばいいと思っていた」と浅野さんは言います。

始まりはキャンプ場の管理人と酒造の2拠点生活。久しぶりの現住所

浅野さんが定住せずに海外や日本国内の旅を続ける資金は、冬の間の「酒造り」で賄っていました。能登半島の能登杜氏組合に所属し、冬になると福井や奈良、滋賀、京都など各地の蔵で酒造りをしていたそうです。旅と酒造りの生活は10年ほど続いたでしょうか。そのうちに「どこに住もうか」と定住先を探しはじめるようになりました。西興部村へは毎年のように訪れていて、そのうちに村の人から「キャンプ場の管理人の仕事」の誘いを受けます。キャンプ場の仕事は夏の間だけで、冬に酒造の仕事がある浅野さんにとっては条件の良いものでした。

妻の千世さんも、住む場所をなかなか決められず途方に暮れていたこともあり、「試しに住んでみてもいいかなって」と、まず体験してみるという気持ちで迷わずOKしたそう。まずは公営住宅に暮らし、地域の人たちと関係ができていき、徐々に「ここなら」と思うようになりました。最初から定住ではなく、お試し移住のような感覚で気軽な思いで始まった暮らし。「西興部村にくるまではどこに住所があったんですか?」と聞くと、「俺は住所なかった」と一言。バイク乗りの旅人生活をしていた浅野さんにとって西興部村は、久々の「住所」になりました。

移住から数年。旧校舎の民宿を譲り受けて、誰もが集うゲストハウスを開始

現在浅野さんご一家が運営しているゲストハウスは、以前に廃校校舎を別の方が民宿として利用していました。西興部村に自宅を借りてキャンプ場での仕事を始めて数年した頃に、「もう年だから、俺がやるより、2人でどうだ?」と声をかけてもらいました。当時既に”民宿“ではあったものの、その機能はほとんどなく、状態はとても悪かったと言います。屋根や床から手作業で1年以上の時間をかけて修改善してGA.KOPPERの形が誕生しました。GA.KOPPERが始まったのが2016年。それまで本職だった酒造りの仕事を離れ、浅野さん自身も1年中西興部村で暮らすこととなりました。

「GA.KOPPERはただのゲストハウスではなくて、旅行者も、移住希望者も、元村人も、現村人も、いろんな人がいろんな方向で幅広く遊びにきてもらえる場所にしていきたい。”学校“なので」と浅野さんは言います。時計、跳び箱、理科室の机、卓球台、足ふみオルガン…GA.KOPPERのあらゆる場所に”昔ながらの学校“らしいアイテムが散らばっています。
GA.KOPPERには全国各地のライダー仲間をはじめ、多くの方が宿泊場所として利用するほか、地域のイベント会場としても多く活用されています。毎年6月には「学校祭」も開催します。子どもたちと黒板にチョークアートで絵を描いたり、その日限りのカフェ、リラクゼーションや手作り雑貨のブース、アーティストのライブなど、地域の人が集まる日です。

ゆるくないキャラコッパーさんの誕生と今

浅野さんは、ゲストハウスGA.KOPPERのほかにも猟師としての活動や、地方創世情報推進協議会や特産品開発事業にも携わっています。今でこそ西興部村に深く根差していますが、そのきっかけになったともいえるのが、地域を盛り上げるために浅野さんが生み出した村のゆるくないキャラ「コッパーさん」の存在です。大きなリーゼント、夜でもサングラス、ネクタイ、とがった靴で、不思議な踊りを踊ります。
「イベントの少ない村で、こどもたちの集まるイベントで楽しませるには何がいいかなってところで、ああなっちゃった」

盆踊り、仮想、ハロウィン、演芸会など、村のあらゆるイベントに顔を出してコッパーさんを登場させることで、いつの間にか村の定番のキャラクターとして定着しました。村役場が外でPRする行事にも同行して、公式キャラクターであるセトウシくんと並んでその場を盛り上げることも少なくありません。2018年には、札幌はもちろん、神戸、新潟、東京など何度も遠征を繰り返しています。以前に新潟で出会った地域おこしに奮闘するご当地アイドルRYUTistとコラボし、毎年西興部村と新潟を行き来して地域を超えた交流をしています。
コッパーさんの名前は、西興部村住人を意味する俗語「ニシオコッパー」からとったもの。ゲストハウスの名前にも使っているGA.KOPPER誕生の背景には、コッパーさんの存在がありました。
北海道内の道の駅各地に設置されているピンズのシリーズにも、コッパーさんピンズが登場しています。ちなみにピンズのイラストは、西興部村に暮らす中学生がデザインしたものです。
「村の子どもがデザインしたものを商品化してあげたかった」と言います。浅野さんは移住者でもあるけれど、きっと村の誰よりも、村のこと、村の子どもたちのことを思う”村人“です。

あったかいのも、煩わしくなるのも人。自然の環境が支えてくれる

日本中、世界各国を旅した浅野さんが選んだ定住の地は、北海道西興部村でした。「いろいろ回って京都とか奈良とか、北海道民の我々にはありえない歴史とか面白かった。あとは、南国、九州とか、ないものをねらって求めたけど、結局北海道がいいと思った。走っているときの爽快感は北海道が一番。広さとか、土地がいい。集落と集落の間の何も無さは北海道独特ですよ」

西興部村はオホーツクエリアの北西部にあり、人口1,100人ほどのとても小さな村です。これといってメジャーな観光資源があるわけではありません。それでも西興部村を選んだのは、「タイミングと勢いと縁、気運が重なった。たぶんそれじゃないかな」と言う浅野さん。だけどしいてこだわりを言うなら、「観光地じゃないところ」がよかったとのこと。観光地は観光に行く場所であって、住むとなったら観光に関しては遅れているところのほうがいいのではないかと思ったそう。「最初は人いいな、と思ったけど、煩わしくなるのも人じゃないですか。あったかいなと思うこともあるけど、人ってこう、感じやすいし視界にも入りやすいので。それを超えるのはこの、ナチュラルな何気ない山だったり、空気とか、水とか、クマとかシカとか、この自然な感じがよかったのかなと最近改めて思う」。西興部村の広大な自然が心を落ち着かせたり、パワーをくれる存在のようです。

狩猟、エゾシカ、ヒグマ。すべて西興部村の地域資源

西興部村では、たくさんのエゾシカが見られます。ヒグマの目撃情報も少なくありません。これらの野生動物は農家の人たちにとっては有害動物でしかなく、交通事故などの被害も深刻です。西興部村では狩猟によりエゾシカやクマを捕獲する活動に注力し、更にこれらを地域資源として活用しようという動きも活発になっています。浅野さんも西興部村に来てから狩猟免許を取得し、ハンターとしてエゾシカやクマを撃つことがあるそうです。ゲストハウス内には自身で撃ったクマの毛皮が飾られ、世界各国を共に旅したバイクのシートには初めて撃ったというエゾシカの毛皮がおかれています。

浅野さんはハンティングと野生動物の関係についても西興部村の大切な地域性であると考えています。ハンターが打つ、毛皮をはがす、肉をとる、食べる。皮をなめす、クラフトをつくる…。ハンティングから販売まで、すべてを行っているというのは西興部村ならではの大切な要素です。また、狩猟を通して、生き物や生きている大切さに感謝するようになったとも言います。

自分たちが住んでいる「この村を、よくしたい」という思い

現在GA.KOPPERでは食事の提供ができないのですが、いずれは飲食店営業の許可をとり、宿泊者への夕食を提供していく予定だそう。また、現在はドミトリー形式の部屋がメインですが、教室の一つを個室用として改修しています。このゲストハウスがより立ち寄りやすい、集まりやすい場所になっていくことでしょう。

浅野さんご夫婦にこの先のビジョンについて聞いてみると、「村をよくしたい、ここをよくしたい」と言います。「仕事って、なんのための仕事だよ、と思います。生活のためとか、賃金がないと暮らしていけないとか、いろいろあると思うけど、やりたくないなら、やらないほうがいいと思う。仕事って、それを含め、楽しみながら進めていけたらいいですよね」。浅野さんにとっての仕事はゲストハウス運営だけれど、村おこし活動や猟、イベントなど「地域に関わって一緒にやること」までが本当の意味での移住だと考えています。

お試しの体験移住から地域活動への意欲的な参加、ゲストハウスの経営を通して、いつの間にか村人よりも村人になっている浅野さんご一家。自分たちがこれからつくっていく「地域」のことを思い、毎日を楽しく暮らしていました。今後の西興部村と浅野さんご一家の行方が楽しみでなりません。

(2018年11月)

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